「キレる17歳」報道が一個人に与えた影響

親から抑圧されてきた子供時代を語るひきこもりの画像

私が子供の頃、マスコミが「キレる17歳」という言説を流布したことがあった。それを見聞きした私の父親も、私が「キレる」のを恐れていたのは間違いない。

なぜなら、父親の行動の背後には「息子が反逆しないように、徹底的に痛めつけておこう」という意図が感じられたからだ。親から子への暴力は日常的にあったし、ランドセルの中身も調べられて管理された。私が抵抗できずに父親をにらみつけていると、父親は「お前の目はキチガイの目だ」「お前のような目をした人間は将来人殺しになる」と言った。父親にとって私は「犯罪者予備軍」であった。

私は「キレる17歳」とはバズワード(実体のない言葉)であったと考えている。「キレる17歳」という言葉がテレビで繰り返されるうちに、思春期の少年そのものが危険であるというイメージが作られてしまったのだ。当時はまだパソコンやインターネットはアングラなイメージがあり、テレビの影響力が強い時代だった。

当時マスコミに勤めていた人たちは、社会にこうした影響を与えたことについて反省をしただろうか?良心の呵責を起こしただろうか?……だからマスコミの抑止力となり、対抗できるような存在が必要なのである。